日大アメフト部会見から考える、子ども同士の人間関係におけるリスク管理

日大アメフト部幹部・日大幹部の動きから目が離せません。

昨日の内田氏と井上氏の緊急会見もずっと見ていましたが、

ここまで来ても、彼らは問題の本質が何なのかをまったく理解していないんだろうなという印象を受けました。


日大に危機管理学部があることから、

報道では「危機管理・リスク管理」という言葉が盛んに出てきています。
日大の対応は、常識では考えられないほど酷いものですが、

今回のことは他人事として考えるのではなく、

きちんと自分の日常に置き換えて考える必要があるだろうな、と思っています。

 

なぜなら、社会生活を営んでいる以上、ことの大小はどうあれ、

いろいろなトラブルに巻き込まれる、また当事者になってしまう可能性は

ゼロではないからです。

それをリスク管理と呼ぶべきなのかどうかはわかりませんが、

日常の小さな人間関係においても、無用なトラブルを避けるという意味で

リスク管理はしておいた方がいいに決まっています。

 


大学時代に、「企業広報論」という授業を受けたことがあります。
講師は当時プラップジャパンというPR会社の副社長を務められていた

杉田敏先生でした。

杉田先生は、ソニーの出井さんなどのコミュニケーションコンサルタントをされていた方。出井さんには立ち方、話し方からネクタイの選び方まで、すべてコンサルティングしていたそうです(そういえば、日大内田氏のピンク色のネクタイも物議を醸していましたね……)

 

杉田先生の言葉で、ずっと心に残り続けている言葉が2つあります。

それは

・第一印象が良ければ、それが下がることはほとんどない。でも第一印象が悪ければ、それが上がることもない。

 

・見た目はとても大事。年を取ると自分がみすぼらしくなるから、良いものを身につけないといけない。

というものです。

 

2つ目はまあいいとして、1つ目の「第一印象が良ければ、それが下がることはほとんどない。でも第一印象が悪ければ、それが上がることもない」というのは、まさに今回の日大の対応そのものではないかと思います。

起きてしまった事件の内容は変えられないとしても、その後の対応によっては

日大アメフト部は社会に良い印象を与えるチャンスはあったと思います。
でも、すべてが後手後手で自己保身に走っている印象を多くの人にガッツリ与えてしまった今、アメフト部のみならず、大学全体のイメージを上げていくことはもう無理なのではないでしょうか。
(会見の司会者によると「日大のブランドは地に落ちていない!!」そうですが……)

 

リスク管理についてちゃんと学んだことはありませんが、

関学アメフト部ディレクター・監督の会見、関学選手のお父様の会見、日大選手と代理人弁護士の会見、会場となった記者クラブの対応、それから内田氏・井上氏の会見と司会者の発言、すべてを見てきて思うのは、

リスク管理のベースにあるものって、結局は「人の気持ちに対する想像力をどれだけ働かせられるか」に尽きるのではないかということです。

 

純化しすぎかもしれませんが、でも、これがトラブルを避けるため、もしくはトラブル後に良い対応をするために、一番必要なことのような気がしています。

 

関学サイドの会見、そして日大選手の会見は、様々な立場の人に配慮し、人の気持ちに対する想像力を細かいところまで働かせたことで、世間を味方につけました。

一方、日大内田氏・井上氏、そして広報部のおじさんは内田氏の身だけを守る姿勢を全面に打ち出すことで、最悪の印象を世の中に与えてしまいました。

 

 

人は誰しも、自分を良く見せたいという気持ち、自分が正しいという気持ちを

持っています。

もちろん子どもにもそういう気持ちはあります。
トラブルを避けるために、その気持ちをすべて抑え込まなくてはいけない、

とは思いません。

 

言いたいことは言えばいい。

でもそこにもちょっとしたテクニックがあり、それを理解しているかどうかでその先が大きく変わるということは、子どもが小学校中学年くらいになったら教えてもいいのかな、と思います。

 

そしてトラブルがあった時にも、「どっちが良い・悪い」で済ませるのではなく、

自分が正しいと思っていることが、必ずしも相手にとっても正しいことだとは限らない、

そんなつもりはなくても、もしかしたら自分の発言や態度が相手にとっては不快なものだったかもしれない、

相手の伝えたいことを、自分が正しく受け取っていないのかもしれない 

と、少し角度を変えたところから相手の気持ちに思いを巡らせる時間を持つことが大切なのではないかと思いました。

 

 

 

今回の事件は、今後いろいろなところに影響が及んでいくと思います。
関学選手・日大選手のお父様達の素晴らしい対応がなければ

日大の選手達はもっと最悪な状況に追い込まれていたかもしれません。

 

世の中には良い人ばかりではないこと、

自分だけでは対処しきれないことに巻き込まれたらどうするのか、

そんなことについても

子ども達と話をしてみたいと思っています。 

 

 

 

 

 

 

少年野球と私 −日大アメフト部問題と「勝つ」こと−

連日報道されている日大アメフト部の問題。


被害者・加害者となってしまった学生たちはもちろん、

両方のご両親は、どれだけ辛く悔しい思いをしているだろうか……。

スポーツをする息子を持つ親としては、

ご両親の気持ちを想像するだけで、いたたまれない気持ちになります。



スポーツの指導がどうあるべきなのか、

息子が少年野球を始めてから、いろいろと考えさせられています。

スポーツだから勝つことも大事。

苦労を乗り越えて勝つ喜びは、スポーツならではの体験です。

でも勝つこと「だけ」を大事にしてしまうと、今回のようなことが起きてしまう。

すごく難しいなと思いす。

 

以前、息子の少年野球チームのコーチが

「勝ちを目指さない野球なんて意味がない。茶番だ」

と話しているのを耳にしました。


もちろん勝ちを目指すことは大切です。

でも特に少年野球のように、小さい子どものスポーツでは、

結果なんてどうでもいいんじゃないかな、と思うのです。

 

 

 

 

この2つのTweet、すごく響きました。

 

少年野球の試合を見ていると

大人が一番勝ちたがっちゃってんじゃないの?

と突っ込みを入れたくなることがあります。


大人が勝ちたがると、

・エラーや三振をすると、見ている大人が「あ〜」とため息をつく

・ボール球を振ると「なんで振るんだよ!」と言う

・相手ピッチャーがストライク入らないとわかったら、ひたすら「待て」のサインを出す

ということが起こります。

エラーは、ボールを取りに行こうとしなければ起こりません。

三振は、バットを振らなければ起こりません(見逃し三振もありますが)。
でも、打席にただ立つことだって、すごく勇気のいることなのです。

 

自分の頭で考えて起こしたアクションを、大人が「失敗」認定してしまうと

子どもはとてもチャレンジしづらくなります。

勝つことが一番大切でなければ、

子どもの立ち向かう気持ちを何よりも大切にするのであれば、

エラーだって「ナイストライ!」になりますし

三振に対しても

「よく振った!」、「今回は見逃しちゃったけど、次は振ってみよう!」

と言えます。

 

エラーも三振も、全然失敗ではないのです。

 

子どものスポーツって、そうあるべきなんじゃないかと思います。
やってみようという勇気
自分の頭で考える力

を育てられる最高のチャンスを、

大人の一言で潰してはいけないと思うのです。


私も、息子がスポーツを始めたばかりの時は

「勝つ」ために応援していました。

だから、子どもたちの失敗でため息もついたし、

なんならプレーについて息子に文句も言っていました。

 

でも、そんなことをしていたら

息子が全然楽しくなさそうになってしまって……。

失敗したことは、子ども自身が一番よくわかっていて、

一番悔しい思いをしているはず。

そこに大人が何かをたたみ掛けることが、良い結果につながるわけがありません。

 

大人にできることは、

励まし、気持ちを切り替えさせ、

失敗を乗り越える気持ちを持たせること。



私の考え方がそんな風に変わったのは、

長男のチームの監督が、結果をまったく気にしない人だからです。


そんなんで強くなるの?と思っている保護者もいるかもしれません。

でも私は「強くならなくてもいいんじゃない?」とすら思います。
子どもたちは、まだまだ先が長い。
今がピークである必要は、全然ないのです。

どんなに些細なことでも、
やればできる、

挑戦すればいいことがある、

そんな小さな小さな成功体験を、いくつも積み重ねていくことが
子どもがスポーツをやる一番の意義なのではないかと思うのです。

 

私なりに考える栗城史多さんの生き方

昨日、登山家の栗城史多さんがエベレストで亡くなりました。

 

栗城さんは、エベレストへの「無酸素単独登頂」を目指していました。

 

「無酸素」とは、酸素ボンベなしで登ること。

 

以前読んだ

「人間はどこまで耐えられるのか」

(フランセス・アッシュクラフト著 河出文庫)

という本には

「標高7000メートルでは、海抜ゼロメートル地帯に比べて体の動きは4割以下になり、エベレストへの無酸素登頂に成功した登山家も最後の200メートルに5時間半かかった」

というようなことが書いてありました。

ほかに無酸素登頂に成功した登山家も、最後は苦しさのあまり這うようにして登ったそうです。

 

そして「単独」とは文字通り、たったひとりで登ること。

他人が工作したルートを通ること、荷物を運ぶのを手伝ってもらうこともダメだそうです。

 

栗城さんは、この過酷な登山に何度も挑戦されていました。そして前回の登頂では重度の凍傷になり、指を9本失いました。

今回はそんな大きなハンディを背負っての挑戦でした。

 

さらに、栗城さんの登山の大きな特徴は、登頂の様子を動画でライブ中継すること。今回のエベレスト登山でも動画を撮りながら登っていました。

 

ネットで名前を検索すると、すぐわかると思いますが、彼は賞賛と同じくらいの数の批判を受けています。

それは、彼の登山スタイルがこれまでの常識に反するものだからです。

 

「分不相応な挑戦をしている」

「最初からリタイアするのをわかって登っているから、登山家ではなくてただの下山家だ」

など、特にプロの登山家からは厳しい意見も出ていました。

 

一方で彼は多くのベンチャー経営者から支援、応援を受けていました。

前例のないこと、非常識と思われることに挑戦する、という姿勢はベンチャー経営者も同じだからです。

 

夫も一度栗城さんの講演を聴き、とても感銘を受けたと言っていました。

 

私は山のことは何もわかりませんが、プロの登山家の栗城さんへの批判は、正当なものだろうと思います。

でも、彼は非常識だと揶揄されてでも、挑戦せずにはいられなかったんだと思います。

なぜなら栗城さんは、お父さんを心から尊敬し、お父さんのような生き方を目指していたからです。

 

栗城さんのお父さんは、生まれつき身体に障害があり、とても小さな方です。

いろいろな記事を読むと、差別をされるなど、幼い頃から苦労されてきたそうです。

 

そんなお父さんですが、本当にすごい方で、なんと自分の住むところに温泉が出るらしいという話を聞き、自ら温泉を掘り始めます。

小さく、自由の効かない身体で掘り続け、とうとう温泉を掘り当てました。

 

恐らく周りには、非常識、無謀と揶揄する人もいたでしょう。

だって、そんな身体で本当に出るか出ないかわからない温泉を、普通は掘らないですよね。

 

栗城さんは、そうやって自分を育ててくれたお父さんを誰よりも尊敬していたそうです。

 

栗城さんのお父さんにとっても、栗城さんにとっても、自分の挑戦を周りがどう評価するなんて関係なかったんだと思います。

挑戦することが生き方なのだから……。

お父さんのような生き方をしたいーーその栗城さんの思いを否定することは誰にもできません。

 

 

一番大切な命を失うことになってしまったのは、本当に残念としか言いようがありません。

何度も立ち上がる姿に勇気をもらっていた人は、たくさんいたと思います。

私も挑戦し続ける栗城さんを、もっと見たかったです。

 

スティーブ・ジョブズ

"Stay hungry, stay foolish."

という言葉の通り、

常識はずれのバカげたことをやる人しか、この世界を変えることはできません。

 

栗城さんは結果を出せなかったじゃないか、という人もいるかもしれません。

でもこれは、結果どうこうというよりは、生き方の問題なのだと思います。

 

彼の意志を継ぐ人がいるかどうかはわかりませんが、でも栗城さんは明らかに登山の何かを変えたのではないでしょうか…。

登山を生業とする方達にはわからない何かを…。

 

そしてもうひとつ、今、栗城さんの生き方から強く感じるのは、

 

子どもがどれだけ親の生き様に影響を受けるか

 

ということです。

 

栗城さんのお父さんが、栗城さんのお父さんじゃなかったら、きっと彼はこんな風に山を登ることはなかったでしょう。

 

そして私も、

子どもに頑張れ、頑張れと言うのではなく、

私自身が頑張って、

子どもにちゃんと背中を見せられるような生き方をしよう。

そう思っています。

 

栗城さんのご冥福を心からお祈りします。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少年野球と私 −序章−

長男、小学6年生。

少年野球最後の一年を、忙しく過ごしています。
昨日2泊3日の合宿が終わり、本日抜け殻状態です。

長男は3年生に上がるタイミングで野球チームに入りました。

1年生の時から「野球やりたい!」と言われていたのですが

週末まで朝早くからお弁当作ったり、お当番したりはだいぶしんどいなと思い

2年間、やんわりと断り続けていました。

 

でも、ある日

「6年生まで頑張って続けるから、どうしてもチームに入りたい」

と懇願され、家族で覚悟を決めて入部しました。


いざ入部してみると、思ったよりお当番も大変ではなかったし(最初はね)、

子どものユニフォーム姿はかわいいし(最初はね)、

低学年なんて、野球っていうか野球コントっていうか……。

ただただ面白い(最初はね)

 

だって、

盗塁し放題で、

フォアボールで1塁に出たら、

もう次の瞬間には3塁まで自動的に進んでいて、

牽制球投げたら、あらぬ方向に飛んで行って

はい1点、みたいな。

野球ってこんなスポーツだったっけ??

かなりの衝撃でした。

 

 

そんなこんなで

いつの間にか高校野球や日本のプロ野球(西武ファンです)はもちろん、メジャーリーグもチェックするようになり、

なんならドラフト会議も毎年中継で見るし、

スコアもつけられるようになって、

 最近は会う人会う人に「ライオンズ、めちゃくちゃ強いね」と言われるくらい

すっかり「野球好き」ブランドを確立させております。

 

野球はとても奥が深いスポーツで、

知れば知るほど、面白い。

 

プロ野球をちゃんと見始めるまでは

ボールってストライクが入らないからボールなんだと思ってました。

でもわざとボール球を投げることもあると知り、

ピッチャーとバッターの間に流れる緊張感や

4つのボールと3つのストライクをめぐるドラマに

日々ドキドキが止まらないわけです。

 

 

しかし。

 

 

当たり前ですが、

 

 

同じ野球でも

プロ野球を見て楽しむのと、少年野球チームに保護者として関わるのは

全然違う。

 

そして、

野球をすごく知っていることと、子どもを適切に指導する能力は

全然別物。次元の異なる話です。

 

 

野球は素晴らしいスポーツです。

でも、野球の世界って、

なんだか独特の雰囲気があります。

 

一言で言うと

 

 

古い

 

…のかな。

 

 

これだけ社会が激変し、教育に対する価値観も変わりつつあるなかで、

少年野球の指導って、どうあるべきなんだろう…?

と最近思うわけです。

 

もちろん少年野球と言ってもひとくくりにはできなくて

プロ野球選手を目指す硬式野球のチームなのか

とにかく楽しく野球ができればいいというチームなのか

で、指導スタイルは大きく異なると思います。

私がテーマにしたいのは、後者の環境における野球指導です。

 

 

勝つことは大事。

でも勝ちさえすればいい?

 

失敗したら怒る。

本当にそれでいいの?

 

試合中は監督の指示通りに動く。

自分で考えちゃいけないの?

 

 

特に長男が高学年になってから、

悶々とすることが多くなりました。

 

そんなモヤモヤを、これから少しずつ

整理していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どものクリティカル・シンキング(批判的思考)力をどうやって育てるか。

毎朝、息子たちの教科書の音読を聞いていると、
国語の教科書ってなかなか面白いなと思います。

(宿題なんだからその日の朝ではなく、

前の日に読んで!!という気はしますが……)


先日小5の息子が読んでいたのが

「想像力のスイッチを入れよう」

という説明文。

 

www.mitsumura-tosho.co.jp

メディアのいうことを鵜呑みにしてはいけないよ。
伝えられた情報が、事実のすべてだとは限らない。

頭の中で「想像力のスイッチ」を入れて、

伝えられていることの外側に何があるのかを考えることが大切だよ。


というお話です。


情報溢れる(しかも嘘もだいぶ混ざってる)この時代を生きる

子どもたちにとって、

いや、大人たちにとっても、

情報を読み取る力は必要不可欠!

先生、ここはぜひ気合を入れて授業してほしい!!

と音読を聞きながら切に思ったのでした。

 

で、

以前にこんな本を読んだのを思い出しました。

でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相 (新潮文庫)

でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相 (新潮文庫)

 

 

2003年、福岡市の教育委員会が、

教師による子どもへの「いじめ」事件を認定。


両親の訴えによると、

とある教師が自分の子どもへの体罰を繰り返し、

しまいには「死ね」と自殺を強要。

子どもはPTSDで入院する羽目になった、

とのこと。

 

学校も教育委員会も、児童側の言い分を認めて謝罪。

教師は停職という重い処分を受けることになりました。

 

事件が発覚してから、

メディアはセンセーショナルな報道で教師を批判。

この教師は職を失った上に、世間から「殺人教師」呼ばわりされることとなりました。

 

・・・しかし。

実はこの事件、まったくの冤罪だったんですよね。

両親は強烈なクレーマー

児童に対する教師の体罰や言葉によるいじめは、事実無根であることが証明され、

事件から10年後の2013年に、教師への処分はすべて取り消されました。



でも、時すでに遅しですよね。

失った時間は取り返すことはできません。

 

この事件についての記憶はないのですが、

やいのやいの言って、人を傷つけたメディアは

どう落とし前をつけたんだろうか。

でもきっと言いっぱなしだったのでしょう。

 

いろんなことがネットで炎上する今日この頃ですが、

自分の目で見て、体験しない限り、何が本当で何が嘘かはわからない。

メディアはどうあれ、せめて自分だけは

大多数の意見に乗っかるのではなく、ちょっと違った角度から物事を見て、

自分なりの意見を持てるようになりたい……。

 

自分の子どもにも、

なんの考えもなしにメディアや人の噂話に乗っかって

誰かを批判したり、物事を判断したりするような人には

なってほしくない……。

 

改めてそんな風に思いました。

 

 

 


物事にはいろいろな側面があるんだよ。

みんなが言っているからといって、それが正しいとは限らないんだよ。

そんな感覚を持って物事を見る力って、どうしたら養えるんだろう

と思っていたところ、

偶然見つけたハーバード教育大学院のPodcast

参考になる話を聞くことができました。

www.gse.harvard.edu
どうやってクリティカル・シンキングの力を育てるか、というお話です。
ゲストで登場していたジョージタウン大学の教授(の話を私の限られた英語力でざっくり解釈したところ)によると、

 

クリティカル・シンキングとは簡単に言うと

「探偵のように読み、事件記者(調査報道をする記者)のように書け」

ということだそうです。

 

なるほど。


で、クリティカル・シンキングで大事な要素は

・他人の意見の弱点をつくことができる能力

・自分の意見を裏付ける、正しい根拠(証拠)を得ようとする力

・自分自身の見解や価値観、信念をしっかりと伝えられる力

の3つだということ。

む、難しい……。

  

まあでも、こういうことが大切なんだと知っているだけでも

全然違うのではないでしょうか。

 

Podcastの内容は、教育現場でどんな風にクリティカル・シンキングの力を育てていくかということがメインだったのですが、最後にこんな会話がありました。

 

インタビュアー:”教育現場以外の日常生活でクリティカル・シンキングの力を高めていくにはどうしたらいいのでしょうか。例えば夕食など家族団欒の時間で、親が子どものためにできることはありますか?”

 

教授:”子どものクリティカル・シンキングの力を育てるために親ができることは、

子どものどんな意見にも寛容でいるということです。

教育現場でクリティカル・シンキングを育てるうえでは、教師が生徒に敬意を持って接し、意見を尊重することがとても大切です。同じように、親も子どもに対して敬意を持って接すること、どんな意見も広い心で受け止めることが重要です。

これによって、子どものなかに、『自分自身の頭で考えよう』という気持ちが生まれ、関心のあることに対して自分なりの意見を持てるようになり、場を不快なものにすることなく反対意見を言えるようになるのです。”

 

 

 炎上事件を見ていると、バンバン火をくべる人たちがいる一方で、ふと全然違う角度から意見を出す人がいるんですよね。

賛同するしないは別として、こういう姿勢って大事だよな、と思います。

 

 

 日本人って先進国の中で、メディアの鵜呑み度が抜群に高いそうですよ。

一番低いのがイギリス人だって。

でも、この話だって本当か嘘かわかりません。

信頼できる証拠を探すことができませんでした。

誰か見つけたら教えてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白バラとブラックドレスとジャネール・モネイ:第60回グラミー賞授賞式  

アカデミー賞やらトニー賞やらグラミー賞やらの

授賞式を見るのがとても好きです。

 

私は音楽通でも映画通でもないので、

誰が賞を取るかということには大して興味がありません。

授賞式の何が好きなのかというと、

授賞式ならではの豪華なパフォーマンスと

賞のプレゼンターや受賞者のスピーチを聞くのが

大好きなのです。

 

今朝、ふとテレビをつけるとグラミー賞の授賞式が放送されていました。

 

先日のゴールデングローブ賞の授賞式では多くの参列者が

性暴力や性差別、人種差別に抗議し、

黒いドレスで参加したことが大きな話題となりましたが、

今回のグラミー賞の授賞式でも、ほとんどの参加者が黒い衣装を着ていました。

中には白いバラを胸に差している人も。

この白バラは「ジェンダー平等」への支持を表明するものだそうです。
今回のグラミー賞は「黒」だけではなく、「白」が大きな意味を持っていました。

 

 

headlines.yahoo.co.jp

 

www.cinemacafe.net

 

Kendrick Lamar、LADY GAGASTINGU2、Rhianna、Bruno Marsなどなど

素敵なステージがたくさんありましたが、

中でも感動的だったのがPINKのパフォーマンスとKeshaのパフォーマンスです。

PINK姐さんといえば、先日のアメリカンミュージックアワードで

高層ビルから宙吊りになって歌うという謎パフォーマンスが話題となり、

今回は「一体何をしでかすんだ??」と注目されていたようですが、

何と白いトップスにジーンズ、裸足というシンプル衣装で

"Wild Hearts Can't Be Broken"を熱唱。

ステージにはPINKと1人の手話通訳の女性(同じく白トップスにジーンズ)のみ。

白い衣装で「絶対に屈しない、自由を勝ち取る」とパワフルに歌い上げる
PINKの姿は、本当に感動的でした。
www.billboard.com

 

そして今回のグラミー賞のハイライトとも言えるのが

ジャネール・モネイのスピーチとKeshaのパフォーマンスです。
早速メディアに大きく取り上げられています。

www.nytimes.com

 

ジャネール・モネイ、どこかで見たことあると思ったら

映画「ドリーム」に出てた女優さんですね。

もう、衣装もヘアメイクもかっこよすぎるし(特に下まぶたのグリーンのアイシャドウ。グリーンは19世紀の女性参政権運動のテーマカラーです)、何よりもスピーチが力強くて。


まだどこにも和訳が出ていないみたいなので、拙い英語力ながら

ちょっと訳してみました。ざっくり。

 

「今日、いちアーティストとしてではなく、

1人の若い女性として、この音楽業界を作り上げてきた同じ女性たちとともに

この場に立てたことを誇りに思います。

アーティスト、作詞家・作曲家、アシスタント、広報、CEO、

プロデューサー、エンジニア、そのほかいろいろな立場で

ビジネスに関わっている女性たち。
私たちは、それぞれ誰かの娘であり、妻であり、母であり、姉・妹であり

人間です。
私たちは争うつもりはありません。でも本気で成し遂げたいことがあるのです。

立ち上がる私たちを黙らせようとする人たちに伝えたい。

『Time's Up(時間切れ)』だと。

不平等な報酬はもう終わり。

差別も、どんな嫌がらせも、権力の濫用も。
問題はハリウッドだけで起こっているのでも
ワシントンだけで起こっているのでもありません。

まさにここ、私たちの業界でも起こっているのです。
私たちは文化を作り上げる力を持っています。
それと同時に、悪しき文化をぶち壊す力も持っています。

 

だから、男性女性関係なく、音楽業界一体となって

安心して働ける労働環境、女性に対する平等な報酬と機会にコミット

しましょう。

多くのアーティストと同じく、次のパフォーマーも、

音楽に強い社会的メッセージを込めています。

恐れを知らない、2度のグラミー受賞者でもある彼女は、

私を含め多くのミュージシャンにインスピレーションを与えました。
彼女は、今夜ベストボップボーカル賞を受賞したアルバム「Rainbow」で

真実を語っています。


今夜、Cyndi Lauper、Camilla Cabello、Andra Day、Bebe Rexha、Julia MichaelsそしてResistance Revival Chorus とともに”Praying”を歌います。
あなたとともに立ち上がることを誇りに思います。

Kesha!!」


上のリンクではKeshaのパフォーマンスも動画で見ることができます。
舞台上の全員が真っ白な衣装。
渾身の力を込めて歌い上げたKeshaも最後は涙……。
司会のジェームズ・コーデンも泣いてました。

全然知らなかったのですが、Kesha自身もプロデューサーに10年間も肉体的・精神的虐待を受けていたんですね。しかもレコード会社との契約解除の裁判を起こすも、訴えを退けられたことから多くのアーティストが彼女を支援しているようです。

テイラーがケシャに2900万円寄付。ガガ、アリアナ、ロードなど”セクハラ”プロデューサー裁判判決を受けてケシャ支援|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)


海外エンタメ業界の授賞式を見るたび、

アーティストや俳優さんたちのスピーチやパフォーマンスに

強い社会的メッセージが込められていることに

驚きと感動をおぼえます。


アメリカすごい、日本しょぼいというつもりはないのですが、
日本のエンタメ業界の表舞台ってちょっとものが言えなすぎじゃないですか?
もの言う人は業界からキックアウトされてしまうのかな……。

 

感動もりだくさんのグラミー賞授賞式でした。

そのうちWOWOWで字幕版を放送すると思うので、録画しなくては。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

眠れないわたしの夢十夜 第一夜

こんな夢を見た。

 

 

古びた客船での海外旅行。

いろいろな国の人が乗り合わせている。

どこに行くのかは、わからない。

 

私はふたりの息子と一緒に、

船内にある水族館に行く。

水族館には、超巨大化した

さまざまな生きものが展示されている。

 

カニ、サメ、ウツボ

すべての生き物が

信じられないほど、大きい。

 

館内は暗く、

巨大化した生き物が、

身体をテラテラ光らせながら

ギロリとこちらをにらむ。

 

ウツボがせま苦しい水槽をつき破り、

今にも私たちを襲おうとしている。

 

あ、巨大タコの水槽が破壊された。

逃げろ。

巨大タコは

巨大な吸盤のついた手を伸ばしながら、

ものすごいスピードで追いかけてくる。

 

急いで客室に逃げ込み、

ドアを閉めようとする。

巨大タコの触手は

わずかな隙間から入り込み、

私たちに巻きつこうと

必死の様相で伸びてくる。

 

もうだめだ……。

 

 

その瞬間、船に大きな衝撃がはしる。

 

「何かにぶつかった!」

「浸水し始めている!早く修理しろ!」

 

乗員たちが慌ただしく走り回る船内。

不安そうな顔で、なすすべもなく立ちつくす乗客たち。

巨大タコはどこかに行ってしまった。

 

船内アナウンスが聞こえてきた。

 

「穴の開いたところにはガムテープをはりました。問題はないので、このまま航海を続けます。もうすぐ港に止まってトイレ休憩です。港の売店にはコーラも売っています。乗り遅れないように急いでトイレに行きましょう。」

 

港に着き、息子たちをトイレに向かわせる。

「あとでコーラ買ってって言われるだろうなぁ」と思いながら、ひとり待つ私。

周りに知っている人は誰もいない。

 

 

古びた船にふたたび乗りこむ。

壊れた船。

航海は続いていく。

 

 

……不安しかない。