私なりに考える栗城史多さんの生き方

昨日、登山家の栗城史多さんがエベレストで亡くなりました。

 

栗城さんは、エベレストへの「無酸素単独登頂」を目指していました。

 

「無酸素」とは、酸素ボンベなしで登ること。

 

以前読んだ

「人間はどこまで耐えられるのか」

(フランセス・アッシュクラフト著 河出文庫)

という本には

「標高7000メートルでは、海抜ゼロメートル地帯に比べて体の動きは4割以下になり、エベレストへの無酸素登頂に成功した登山家も最後の200メートルに5時間半かかった」

というようなことが書いてありました。

ほかに無酸素登頂に成功した登山家も、最後は苦しさのあまり這うようにして登ったそうです。

 

そして「単独」とは文字通り、たったひとりで登ること。

他人が工作したルートを通ること、荷物を運ぶのを手伝ってもらうこともダメだそうです。

 

栗城さんは、この過酷な登山に何度も挑戦されていました。そして前回の登頂では重度の凍傷になり、指を9本失いました。

今回はそんな大きなハンディを背負っての挑戦でした。

 

さらに、栗城さんの登山の大きな特徴は、登頂の様子を動画でライブ中継すること。今回のエベレスト登山でも動画を撮りながら登っていました。

 

ネットで名前を検索すると、すぐわかると思いますが、彼は賞賛と同じくらいの数の批判を受けています。

それは、彼の登山スタイルがこれまでの常識に反するものだからです。

 

「分不相応な挑戦をしている」

「最初からリタイアするのをわかって登っているから、登山家ではなくてただの下山家だ」

など、特にプロの登山家からは厳しい意見も出ていました。

 

一方で彼は多くのベンチャー経営者から支援、応援を受けていました。

前例のないこと、非常識と思われることに挑戦する、という姿勢はベンチャー経営者も同じだからです。

 

夫も一度栗城さんの講演を聴き、とても感銘を受けたと言っていました。

 

私は山のことは何もわかりませんが、プロの登山家の栗城さんへの批判は、正当なものだろうと思います。

でも、彼は非常識だと揶揄されてでも、挑戦せずにはいられなかったんだと思います。

なぜなら栗城さんは、お父さんを心から尊敬し、お父さんのような生き方を目指していたからです。

 

栗城さんのお父さんは、生まれつき身体に障害があり、とても小さな方です。

いろいろな記事を読むと、差別をされるなど、幼い頃から苦労されてきたそうです。

 

そんなお父さんですが、本当にすごい方で、なんと自分の住むところに温泉が出るらしいという話を聞き、自ら温泉を掘り始めます。

小さく、自由の効かない身体で掘り続け、とうとう温泉を掘り当てました。

 

恐らく周りには、非常識、無謀と揶揄する人もいたでしょう。

だって、そんな身体で本当に出るか出ないかわからない温泉を、普通は掘らないですよね。

 

栗城さんは、そうやって自分を育ててくれたお父さんを誰よりも尊敬していたそうです。

 

栗城さんのお父さんにとっても、栗城さんにとっても、自分の挑戦を周りがどう評価するなんて関係なかったんだと思います。

挑戦することが生き方なのだから……。

お父さんのような生き方をしたいーーその栗城さんの思いを否定することは誰にもできません。

 

 

一番大切な命を失うことになってしまったのは、本当に残念としか言いようがありません。

何度も立ち上がる姿に勇気をもらっていた人は、たくさんいたと思います。

私も挑戦し続ける栗城さんを、もっと見たかったです。

 

スティーブ・ジョブズ

"Stay hungry, stay foolish."

という言葉の通り、

常識はずれのバカげたことをやる人しか、この世界を変えることはできません。

 

栗城さんは結果を出せなかったじゃないか、という人もいるかもしれません。

でもこれは、結果どうこうというよりは、生き方の問題なのだと思います。

 

彼の意志を継ぐ人がいるかどうかはわかりませんが、でも栗城さんは明らかに登山の何かを変えたのではないでしょうか…。

登山を生業とする方達にはわからない何かを…。

 

そしてもうひとつ、今、栗城さんの生き方から強く感じるのは、

 

子どもがどれだけ親の生き様に影響を受けるか

 

ということです。

 

栗城さんのお父さんが、栗城さんのお父さんじゃなかったら、きっと彼はこんな風に山を登ることはなかったでしょう。

 

そして私も、

子どもに頑張れ、頑張れと言うのではなく、

私自身が頑張って、

子どもにちゃんと背中を見せられるような生き方をしよう。

そう思っています。

 

栗城さんのご冥福を心からお祈りします。

ありがとうございました。